北竜町農家のなんとなく

北海道北竜町の農家がほそぼそ考えたこと。

ボドゲって何が楽しいの?の私見

 いよいよ稲刈りが近付いてきました。なのに、毎日半袖で汗だくなのはどういうことでしょう、りんちくです。

 今回は、ボードゲームに関する雑談です。偏見を大いに含んだ個人的なボドゲ観の垂れ流しですので、あまり真に受けないで下さい。

 子どもの遊びとしても、手軽なレクリエーションとしても、そして大人もハマる奥深いゲームとしても魅力的なボードゲーム。北竜ボードゲーム会を始めた時から、少しだけですが町内にもボードゲームが浸透してきたように感じます。

 かるーく、ボードゲームとは。欧州を中心に、家族で楽しめるツールとして発展してきたもので、テーブル上でボードやタイルやコマ、カードを使ったり、会話をしたりしながら遊ぶゲームです。星の数ほどの種類がありまして、うちには、何年か前に大幅に整理・売却してあまり増やさない様にしているのに、まだ大小含めて250タイトル以上あると思われます。結婚前の一時期、妻が完全に狂っていたので。
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 ボドゲ棚の半分です。これが3つ。そして、押し入れに出番の少ないゲームがみっちり入っています。

 ボドゲって、人生ゲームみたいなの?」と、ボードゲーマーは全員、100回聞かれたことがあります。なんて返したら一番小粋なトークに展開できるのか、10余年をかけてもその答えは未だに見つからずにいます。誰か助けて下さい。(いい案があればコメントをくれたら嬉しいです。)

 

 思えば小学生の頃からオセロとかクイズ番組が大好きで、中学生くらいになると、今なお輝きの褪せない名作漫画『ヒカルの碁』の影響でじいちゃんと囲碁を勉強するなど、元々そういった頭を使う遊びが好きなんだと思います。大学時代も寮でトランプの「ナポレオン」や、ドイツゲームドミニオン」などをプレイしていました。

 前職で福岡に住んでいた時には、テーブルトークRPG、もっぱらクトゥルフ神話TRPGにハマってやっていた中で、セッション前に仲間が前哨戦としてたまたま持ってきたのがボドゲとの出会いでした。余談ですが、妻ともそこで出会いました。

 

 さて、私が感じるボードゲームの醍醐味は、ずばり勝負することです。スポーツをやったりテストがあったりする学生と比べて、普通に暮らしていると誰かと競い合うことなんてまずありません。勝って嬉しい、負けて悔しいという体験は、大人になるに従って減っていく様に思えます。勝負の場の緊張感や、勝敗問わず終わったあとのあの感覚が好きなのです。(人によっては、誰かを邪魔することや、そもそも負かすこと自体に凄くストレスを感じる場合もあるようです。そういう方には、協力型のゲームも楽しいと思います。私は進んで選びはしませんが、全くもって嫌いではありません。)

 ルールは様々で、ランダム性の濃淡、戦略性、交渉力、心理戦など様々な力が試される場面も多く、新しいゲームをやるたびにワクワクしています。

 

 近年、ボードゲームが注目されるときにはしばしば、「デジタルにはない効果」がよく取り沙汰されるように思えます。特に、人との交流が求められるゲームがほとんどであるため、コミュニケーション能力が高まることもあるでしょう。様々な力が試されるゲームですし、戦略性や計算などの知育、自己研鑽にも適したものです。

などと、私は1ミリも思っていません。

 それなら自己啓発とか、カウンセリングとか、勉強に時間を費やした方が絶対に有意義です。デジタルでも十分です。交流することで人間性がわかる、とかは納得できるところもあるかもしれませんが、そんな人間観察を求めてボドゲに参加して楽しいんでしょうか。私にはわかりかねます。

 超偏った見方ですが、「ボドゲがコミュニケーション力を高める」のではなく「最低限のコミュ力がなければボドゲは楽しめない」、「ボドゲを通して頭を鍛えられる」のではなく「頭を鍛えた分がゲームに反映される」といった側面の方がむしろ色濃く感じます。

 まあ、完全に効果がないとは流石に私も言い切ることはしません。ですが測れるものでなし、娯楽にそんな教育効果みたいなものを期待してやるのは、かえって損ではないかと思うのです。戦略性なんかは、純粋に勝負を楽しめば楽しむほど磨かれるのではないかとすら思います。

 もしなにか求められるメリットがあるとするなら、仲間が増える、出会えるという点だけは大いにあるメリットと言えるかもしれません。ボドゲを通して知り合うの人との縁も貴重です。でも、それを目的にボードゲームをやろうという人はいないでしょう。やはり、純粋に楽しいからやる、ということが芯にあることで、ボドゲやそれに関わる人々から、最大限の恩恵が受けられるのではないかと思います。

 

 何にせよ、楽しみ方はそれぞれ。アートワークやシステムに惚れ込む人もいれば、わいわいするのがいい人もいます。それぞれでいいんです。

 前半で申し上げた通り、私は「勝負の緊張感」に、デジタルにはない一番の魅力があると思うのです。下らない話をしたり、ふざけ合ったりしながら遊んではいますが、皆が真剣に考えて、勝利に向けて遊んでいるんです。画面の向こうの人と競うのも、私は結構やります(ボドゲのネット版もありますし、ポケモン対戦とかも好きなので)。ですが、目の前の相手と競っている時には、別格の緊張感と楽しさを感じます。

 結局、なんやかんやと目的や効果を語るのでなく、純粋に魅力を感じて遊んでもらえると一番嬉しいな、と思う次第です。

 

 なんで記事にしてまでこんなことを言うかといいますと、もう10年以上前ですが、こうした自己啓発ボドゲを組み合わせたマルチ商法が現れた時代があったからです。胡散臭いゲームにとち狂ったような値段をつけて、あちこちで色々なあれこれに勧誘する手口が話題になっていました。しかもそれが名作の丸パクリシステム。そのくせして、あたかも「ボードゲーム大好きで、広めていきたいんです!」みたいな顔でメディアに露出し始めたことも相まって、全国の関係者、愛好家から蛇蝎の如く嫌われていたようです。私も一度、偶然にもラジオに出演されていたのを聞きましたが、反吐が出ました。皆さんも胡散臭い奴にはお気をつけを。

 

 今回はここまで。たまに、ボドゲレビュー的なのも書こうかと思います。それでは、閲覧頂きありがとうございました。