北竜町農家のなんとなく

北海道北竜町の農家がほそぼそ考えたこと。

食べるぜニッポン、なんか変

【前回のなぞなぞ】

3×10^⁠48+2^2

この歴史書ってなーんだ?

 

答え:三国志(10の48乗は「極」なので3極4)

 

 始めにお断りしておきますが、私は勉強していたのが農業経済学でして、水産物に関しては明るくありません。不勉強との指摘があれば甘んじてお受け致します。

 

 今回は農水省の食べるぜニッポンキャンペーンについて。原発の処理水を福島沖に流したことで、近隣諸国が水産物の輸入を止めたことに対応してのキャンペーンですね。これに際し、農水相がホタテの消費を呼びかけたそうです。

https://news.yahoo.co.jp/articles/381f15acd5406bbae3c4ae311e630ade75484bce

 別に呼びかけることはいいのですが、その地位に就いた方の言い分ではないと思ってとても腹が立っております。

 一応断っておきますが、近隣諸国の対応は到底納得いくものではありません。ですが、日本の無策さに驚いたのが大きいです。そもそも懸念を一貫して表明し続けてきた地元の反対を無視して流すのだから、このような事態にならないよう手を打った末の決断だと思っていました。曲がりなりにも同じ食料生産を担う一次産業従事者としては、国家としての在り方をどう考えてらっしゃるのか、今一度問うてほしいと思う次第です。

 そしてSNSなどでは「経営者が海外市場に依存していたのが問題」などとして政府を擁護し、生産者を批難するような言説も一定数みられました。ふざけるのも大概にしていただきたい。海外の反応も調査せず、地元の実情の一切を無視していたことの証左ではないか。その何を擁護すればよいのか、私には理解できません。

 

 そもそもの私の考えの前提を述べると、一次産業は、食料供給を満たすために必ず維持するべき産業です。近代の支配的なシステムである市場原理の中で産業として成り立たせるような基盤が必要である一方で、食料という重大な資源を国民に滞りなく供給する、加えて食文化を維持することは国家としての最重要課題です。よって、市場原理に任せた競争原理と一定の距離を置きつつもバランスをとり、生産基盤を保護することが必要だと考えています。

 しかし、この10年ほどでそのバランスは完全に市場原理主義へと傾いてしまいました。従事者は生き残りを懸けて規模の利益を追求せざるを得ず、淘汰が進みます。結果、情勢によって収入は乱高下し、安定した生活を営むにはリスクが高く、担い手はますます減っていきます。私もUターンした人間ですが、農業の不安定さはわかっていたものの、コロナ禍の米価下落は流石に堪えました。

 生産量を安定させて産業を維持することが最重要なのは当然としても、それだけで食えないのは経営者だけでなく、市場経済の失敗であるとの認識が必要です(この日本全体の一次産業従事者の高齢化、担い手不足の現状を「自由競争の中での経営判断の失敗」と分析するほど愚かなことはないでしょう)。それを放置するのは、一次産業においては日本の食料供給、食文化が持続できないということを意味します。それはすなわち、国家体制の失敗なのです。

 そもそも、季節の中で、自然の中で営む一次産業は、とにかく生産を安定させることに多くの労力を要します。その上で、価格変動という自分の力を超えたものに命綱を握られている。安定した高い生産力を持ったとしても、市場経済の動きによって簡単に破綻しうると言ってよいでしょう。私達の食卓は、こうした危うさの上に成り立っていることを忘れてはなりません。

 

 それを前提に、輸出による出口対策を考えてみると、政府はこの10年ほど輸出対策を大きな柱に掲げて一次産業の振興を謳ってきました。あくまで市場経済を軸とした利潤を確保することによって国の食料と食文化を守るという選択です。そして当然ながらそれは国家間の関係性によって成り立つものです。今回の処理水放出による水産物危機は、こうした一次産業振興の土台を無視、下手すれば認識すらせず、なんの手も打たずにもたらされました。生産者からすれば政府が建てた振興の柱が、実はジェンガで出来てた上、急にそれを使って遊び始められたようなもんです。

 本題のキャンペーンは、内需を増やして支えるという考えは当然で、自然に見えます。ですが、このような突発的な需要激減に対して、特に生鮮に関連する一次産業は非常に脆く、規模の利益を追求させてきた分、反動は凄まじいものです。そもそもが市場経済の問題によって、内需で支え切れないからこそ生まれたのがこの構造です。こんな突貫工事で支え直すのはほぼ不可能と言えるのではないでしょうか。急に胃袋は増えないし、財布に金が湧いてくるわけでもないのですから。そして、それは内需を満たすための生産すら維持できないという結果となって、遠くない将来に日本全体に返ってくるでしょう。

 

 私は、基本的にはいわゆるデカップリング(生産によらない収入補償)をとるべきだと大学時代から考えています。米で言えば、かつての転作奨励金や戸別所得補償制度なんかはそれに近いものがありました。今回のホタテに対しても、漁業者への補償を速やかに行うことを怠れば、漁業の継続が危うくなりかねません。ですが、もはや政策は市場原理が全てといってよいような状態です。この調子では、今回のホタテの一件に限らず、ほんの少しのバランスで主食の米ですら総崩れになりうるでしょう。市場経済の失敗に、何十年も向き合ってこなかったひずみが表面化する一つのきっかけになったようにすら思います。

 繰り返しになりますが、国民が「食べて応援する」ことは全くもって間違いではなく、むしろ正解です。しかし、国が引き起こした問題への、そして地元の生産者への向き合い方としてあまりに無策で、無責任だと感じてならないのでした。

 

 以上、稲刈りが終わってないのに急ぎで書いたので、参考文献も読み直してませんので乱文になりましたし、なぞなぞも思いついてません。すみません。閲覧頂きありがとうございました。