北竜町農家のなんとなく

北海道北竜町の農家がほそぼそ考えたこと。

面白かった本①貴志祐介『黒い家』

【前回のなぞなぞ】

 

停電した瞬間、本棚からなくなってしまった本ってなーんだ?

 

答え:伝記(電気が消える)

 

 最近、全然本を読まなくなってしまいました。特に子どもが生まれてからは絵本ばかりですし、なんだか活字と向かい合う集中力がありません。まあ、冬になったら時間もできるし、今年こそ読書の習慣をつけたいと思います。ブログのネタにもなるし。

 で、今回は数年前に読んだ本のレビューという、なんとも悲しい記事です。まあ、もう一回読みたいなというくらい良かったのでよしということで。

 

 はい。貴志祐介先生の『黒い家』です。保険会社に勤める若槻慎二は、電話口から異常な事態を感じ取り、その顧客について調べ始めます。そして辿り着いた黒い家。若槻は、人間の狂気が生み出すおぞましい事件に巻き込まれていくのです。

 私は、ミステリとかホラーは好きなのですが、心霊系のホラーはあまり読みません。(というのは、幽霊とかの怖さは楽しめるんですが、見てるときは凄い怖い割に、現実に戻った時の落差が大きくてあまり心に残らない感じがして。)結局、我々が生きている以上、最も身近に感じる恐怖は人間の狂気から生まれるものではないかと思うのです。特に「金は命より重い……!」を地で行くこの時代。人間はどこまで醜悪になっていくのでしょうか。

 貴志祐介先生の作品は、そんな恐怖を存分に味あわせてくれます。その中でも手頃な長さで魅力が存分に詰まったオススメの一冊です。

 私達は「異常な事態」は一目にわかることもあるでしょうが、「異常な人物」と感じるのは、どんな場合なのでしょうか。流石に死体が隣の部屋にあったら異常な事態ですが、そこに居合わせた人物は異常なのでしょうか。仮にその場で「通常」でいられる人間がいれば、それはもはや「異常」に映るでしょう。では、その人物にとっての普段の「通常」な状態は、我々にはどう映るのでしょうか。

 『黒い家』では、その人間の本性というか、根底にあるものを探るために若槻が奔走します。そこでは様々な角度から人物を分析していきますが、果たして「異常な人物」とは一体どういうものなのか、読んでいる内に私にはわからなくなっていきました。そして「異常な事態」の真相に辿り着いたとき……ネタバレになるので感じたことは書かないことにします。

 というわけで、薄口にオススメの一冊でした。閲覧頂きありがとうございました。

 

【今日のなぞなぞ】

 食べると冷たくてあま~いのは何曜日?

 

絵本について③岩井俊雄『100かいだてのいえ』

【前回のなぞなぞ】

 

 店員さんがずーっと「ルルルルル………」と非常に激しい様子でまくし立てているチェーン店ってどーこだ?

答え:ドトール(怒涛・ル)

 

 いよいよ仕事が始まる気配がしてきました。ちょっと身体動かしたらへとへとです。早く慣らさねば……!

 

 さて、今回は絵本のお話。紹介するのはこちらの絵本『100かいだてのいえ』です。

 叔父がお土産に買ってきてくれたので読み聞かせました。そのハマりっぷりは、前回紹介した『りんごかもしれない』をやや上回るようです。毎日読んでいたのに、それでもずーっと楽しそうにしています。

 

 星を見るのが大好きなトチくん。ある日、1通の手紙が届きます。「100かいだてのいえの てっぺんにすんでいます。あそびにきてください」。森の中に現れた家は、とってもたかくて、てっぺんもよく見えません。恐る恐るトチくんは登っていきます。いったい誰が住んでいるのでしょうか?

 

 そんなお話。中には10階ごとに違う生き物が暮らしています。一階ずつ細かく様子が描かれていて、とっても賑やかでかわいいんです。部屋も、動物の特徴に合わせた細かな仕掛けがたくさんです。

 読み聞かせ方も色々ありそうです。私は数字を覚える意味でも、階段を指でなぞりながら数字を読み上げ、トチくんと動物がいるところに着くと会話を読む、といった感じ。何日も続けて読んだため私が飽きたときには、一部屋ずつで軽く「〇〇してるね」と言いながら進めていきました。息子は「ここはレストラン!」とか「お風呂入ってる!」「公園で遊んでる!」などと実況してくれます。それだけでもかなり刺激になっている様です。

 この絵本は数字に親しみつつ、動物たちの特徴に触れる機会を生み出すように意識されているのではないかと私には思えます。100階に着いたときの絵もかわいらしく綺麗で、なんとなく達成感もある気がします。こういったところがうちの息子には刺さったのではないでしょうか。

 

 因みに、この絵本はシリーズになっていて、「もりの100かいだてのいえ」も私の叔父から頂きまして、さらに「うみの100かいだてのいえ」も買いました。それにも勿論、大ハマリしています。「もりの〜」は生き物と楽器、「うみの〜」は着せ替え人形がコンセプトになっていて、これも面白い。(それはそれでまた記事にします。)寝る前の読み聞かせにオススメの一冊です。

 今回はここまで。皆さんも、オススメの絵本を教えて下さったら幸いです。閲覧頂きありがとうございました。

 

【今回のなぞなぞ】

停電した瞬間、本棚からなくなってしまった本ってなーんだ?

矢野絢子さん『てろてろ』〜ラブソングにとどまらない物語

【前回のなぞなぞ】

あるもので遊ぼうと友達を誘ったら、OKしてくれたよ。だけど、すぐに用意したら、今じゃなくて後でやるもんだと勘違いしてたみたい。いったいなにで遊ぼうとしていた?

 

答え:囲碁(「以後」やろう)

 

 復活早々に、需要のない、曲の感想の記事です。(なんだか北竜ポータルに出てしまうのが申し訳ない。でも書きたいから仕方ない。)

 矢野絢子さんの代表曲は、と問われると、まず間違いなく挙がるであろう曲がこの『てろてろ』です。

てろてろ

てろてろ

 「てろてろ」というのは、創作の擬態語で「てくてく」と「とろとろ」の中間くらいの速さを表しているそうです。(ライブで御本人の口から説明されるまで、私もなんとなくの雰囲気でしかわかりませんでした。)一見、ラブソングに思えるのですが、私には胸の内を音楽に乗せたものでなく、一つの物語として聞こえてきます。

 「知らないとこに行きたいな」という印象的な歌い出し。美しく情景を描きながら、とても素直で、誰の頭にもすんなりと入る歌詞で歌い上げられます。高知には行ったことがないのですが、この詩から山村のような、有り体に言えば田舎の情景が思い起こされます。

 ですが、それと合わせて語られる言葉から起こる心情は、皆さん様々なのではないでしょうか。それは、続く「嘘だよ ほんとうはね ここにいたい ここにいたいんだ」というフレーズ。どことない幼さを孕んだ美しい言葉選びで、複雑な胸の内を表すこの一言。この洗練された言い回しに、深い感銘を受けました。この、「嘘だよ」の一言が、この曲をラブソングではなく、物語たらしめていると感じるのです。

 なんだか機微のない雑なものいいで申し訳ありませんが、私には聞き手によって、違う物語があるように思えます。例えば、彼(彼女かも?)は、それぞれの言葉を「君」や誰かに語っているのか。それとも自問しているのか。本心で「嘘だよ」と語っているのか、そう伝えているだけなのか。これだけでも場面は違うものに見えてこないでしょうか?皆さんはどう聞こえたか、とても気になるところです。

 町の美しい情景や「夜には泣きそうになっても」という時間の流れ、そして間奏を経て、こんどはこの言葉が畳み掛けるように繰り返されます。ここでは、同じ言葉でも前半とは違う場面が思い起こされないでしょうか?私には、この矛盾するような二つの思いはどちらも掛け値ない本心なのではないかという、迷いとも違う複雑な感情を感じます。

 そして、どこまでも真っ直ぐな言葉でサビが歌われます。この相反するような二つの思いが心の中にあることを語ったからこそ、シンプルなサビ、大サビが大きな意味を持った言葉に感じるのだと思います。

 「街灯の明かりが星の光を消しても 傾いた夕陽は 本当に素晴らしかったよ」という情景も、矛盾する心と、その根底にあるサビのフレーズを重ねているかのように鮮やかです。

 

 大サビの繰り返しが大変ドラマティックなこの『てろてろ』。矢野絢子さんの曲は、この繰り返しの技法がよく使われているようです。他のアーティストにも当然見られるものですが、歌声の力強さも相まって特に効果的に感じる特徴の一つです。そして、その繰り返しに思いを込める為に尽くされたような言葉の運びが、とても素晴らしい。この『てろてろ』は、そんな魅力が詰まった、まさに代表曲と言えるものだと思います。

 是非聞いて見て下さい。閲覧頂きありがとうございました。

 

 

 【今日のなぞなぞ】

 店員さんがずーっと「ルルルルル………」と非常に激しい様子でまくし立てているチェーン店ってどーこだ?

 

ニュースとかみてやる気なくなってました〜正しくありたい

 冬、色々あってブログをサボっていました。というか、やるのが虚しくなってました。今回はその記事です。多分、誰も共感はしないし、意味もわからないでしょうが、少しばかり。

 

 きっかけはというと、私人逮捕系YouTuberとか、とある女性支援NPOに嫌がらせしてるわけわからん奴のことをニュースとかXとかで見たことです。「お前のブログと関係ないやろ」と言われれば全く反論の余地もないですが、なんだか言論自体の無力さというか、虚しさを感じてしまいまして、寝る前に筆を取ってはぶん投げる日が続いていました。この記事が的確だと思えます。

 

https://gendai.media/articles/-/120625?page=1&imp=0

 

 私も折角ブログをやってるので、アドセンスなんかも申し込んでみまして、なんとなくだった広告の仕組みなんかも、初めてまともに見てみました。端的に「閲覧数=金」であることの弊害はいわゆる〝迷惑系YouTuber〟の全盛期にもう語り尽くされていますが、それがよくわかりました。無茶苦茶なことをやって注目を集めれば一時的な収入になるし、一定数が「正義感の強い人だー」なんて騙されれば恒常的な収入になりますものね。

 結果、酷く道義に背くような行動であっても、むしろ収入が見込める。前述した女性支援団体へ嫌がらせした奴も同じです。損害賠償に発展しても、それを上回る収入が見通せれば、(まともな神経とは思えませんが)続けるのも道理かもしれません。

 今、社会の基軸は新自由主義市場原理主義です。なんだかんだ言っても金を稼ぐことが重要です。その価値観で見れば、これもある意味「成功である」と言えてしまう。真面目に田んぼ作ったり、赤字覚悟で地域おこしに挑んだりするよりも儲かるなら、その方が成功者になれるのだからやってられません。

 

 それに加えて何より問題だと思うのは、その価値観が「稼いでいる=正しい」へと拡大する予兆があるように思えることです。凄く単純に言えば「稼いでいる人は、能力が高い、頭が良い」「能力が高いのだから、正しいことを考えている」といった具合に、言論や学問の過程で練り上げられるべき結論が、極めて単純に評価されるのではないかということです。「金を稼ぐ力」は、例えば「英会話」みたいにそれ以上でも以下でもない一能力で、「社会や経済を考える力」などとは明確に異なる力だと私は思うのですが、どうもそれを超えた評価を受けている様に感じてならないのです。(そこには「経済」と「経営、金稼ぎ」の混合もあるとは思いますが)

 実際に、彼らは稼ぎのために法的にも道義的にも正当性を持ち得ないような行動をとっているにも関わらず、彼らを応援する一定数の「信者」とも呼べる人がいます。私は全く理解できませんでしたが、このようなことに思い当たった時、背筋が凍る思いをしました。閲覧数による広告収入の仕組みも、こんな流れを後押しするようにも思えます。

 こんな風に吠えても、結局稼げればいい生活はできるんでしょうし、なんだか自分のやってること、やってきたことが馬鹿馬鹿しく思えました。ですがとりあえず、一時期ではありますがペンで働いていた人間でもありますので、正しいこととは何なのか、常に自問しながら生きていきたいとは思います。

 

 さて、こんな風に記事にしようとずっと考えてましたが、なんとなく自己矛盾的になに書いても虚しくなってました。ですが、暖かくなってきて「まあいいか」という気持ちになったので、まとまってはいませんが、載せることにしました。またちょくちょく更新します。

 とりあえず、なぞなぞは頑張ってつくりたい。

 

【今回のなぞなぞ】

あるもので遊ぼうと友達を誘ったら、OKしてくれたよ。だけど、すぐに用意したら、今じゃなくて後でやるもんだと勘違いしてたみたい。いったいなにで遊ぼうとしていた?

 

答えは次の記事!

 

【忘れさられてた前回のなぞなぞ】

 熊は熊でも、流れ作業に欠かせない熊ってなーんだ?

 

答え:ベルトコン「ベアー」

 

閲覧頂き、ありがとうございました。

熊駆除のクレームに思う〜他人事の農村

【前回のなぞなぞ】

 

カラス、牛、羊が合体したら、ある鳥になるらしい。いったいどんな鳥になる?

 

答え:カモメ(カァー、モォー、メェー)

 

 

 前回、近所の熊について書きました。その後、また2頭の子熊がでてきており、実家のお向かいの家の150mくらいまで来ていました。軽トラには少しビビっていた様ですが、また遊び始めていました。母熊と思われる方は、特にまだ耳に入りません。ビクビクしながら仕事をしております。
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 全国的に熊の出没が問題になっている中、幾度となく話題になるのがこのニュースです。

秋田のクマ被害、駆除への“無責任”クレームに近隣住民が猛反論「子どもの命がかかっている」(ENCOUNT) - Yahoo!ニュース

 こういった話題が全国で大きく報じられると、私がいつも感じるのは「他人事だからな」という、憤りにも似た苛立ちです。これは私が以前、青年農業者会議で北海道の最優秀賞を頂いたアグリメッセージのテーマでもありました。

 ありきたりな言い方になりますが、都会に住んでいるとこの危機感は理解できないと思います。それでも、想像したり調べたりすることは出来るはずです。おそらく、記事にあるクレームをしてしまう人はその想像力や調査力が著しく欠けているか、原理的博愛主義者なのでしょう。

 「熊を山に逃がせ」というのは完全に前者の能力が欠けた意見ではないでしょうか。すこし調べるだけでも熊の行動範囲の広さはわかります。それ以上の距離に逃がすのは現実的でないし、簡単に帰ってくれば次は人命に関わることが容易に予想されます。侵入を防ぐのが一番ですが、電柵や有刺鉄線ごときで奴らは止まりません。鹿ですら全く防げていません。炸裂音も人の声も、慣れてしまえばより危険は増していきます。有用な知恵が生まれていないのが現状といって良さそうです。冗談抜きに次の瞬間死ぬかもしれない事態では、射殺という選択肢を抜きに対策を語ることは、少なくとも現状では難しいでしょう。

 「命は大切だ」というのは理解できます。それでも人間が愚かにも繰り広げる戦争とは、わけが違います。私達にも生活と営みがあり、熊が現れたからとすぐに去るわけにもいきません。哀れではありますが、自分たちの命には代えられないと考えるしかないと思っています。

 農村の暮らしは、メディアによる伝聞や体験などで少しずつ都会の方にも見聞きできるとは思います。ですが、こうしたリアリティはまだ希薄で、そういった方のクレームに繋がっているのではないかと想像します。どうか、他人事から一歩踏み込んで考えてほしいものです。

 もう少し言いたいことはありますが、このくらいにしておきます。閲覧頂きありがとうございました。

 

【今回のなぞなぞ】

 熊は熊でも、流れ作業に欠かせない熊ってなーんだ?

 

熊が出たのでどうしましょう。

【前回のなぞなぞ】

試合前のサッカー選手と自動車工場の人が同じことをしていたよ。何をしていた?

 

答え:えんじん(エンジン、円陣)を組んでいた

 

稲刈りがよーーーーーうやく終わりました!あとはやり残した山積みの仕事を、少しずつこなしていくのみです。降雪までにやらなきゃ……!

 

と思っていた矢先。お向かいのお母さんが大慌てで走ってきたので何事かと思いましたら、

あそこに熊いるよ!

とのことでした。嘘やろ。


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マジでした。子熊が2頭です。そして翌日、スキー場にも親とみられる熊がでました。真下は私がまだ除草剤撒いてない田んぼです。これからは、後ろを気にしながらの作業になりそうです。マジで落ち着いて仕事できません。お隣の深川市でも、市内に堂々と出没したとのことでして、もうめちゃくちゃです。

 前職の新聞記者時代、秋田県で熊に襲われた方を取材したことがあります。その方は牛の放牧中で、突然後ろから親子の熊に襲われたとのことでした。子熊がいると、母熊は非常に攻撃的になるとか。秋田はツキノワグマですので、抵抗したら逃げていったとのことでした。近日のワイドショーでも熊に襲われた人の映像が流れてますよね。

 ですが、ヒグマはだめです。ワンパンで死にます、多分。とにかく殴られないように仕事をします。

https://www.sanspo.com/article/20230831-66L7J57NG5LGJDQM6CPR6VI2VI/

この手のニュースについても記事を書いていますので、できたら公開します。

 取り急ぎ系の記事でした。閲覧頂きありがとうございました。

 

【今日のなぞなぞ】

カラス、牛、羊が合体したら、ある鳥になるらしい。いったいどんな鳥になる?

矢野絢子さん『金色の匂い』〜思索に耽りたい季節に

【前回のなぞなぞ】

色んな味のキャンディーを舐めていると、突然お家が火事になっちゃった!いったい何味のときだろう?

 

答え:ハッカ味(発火あじ。)

 

 稲刈りがようやく終了!!掃除して、シーズン終了まであと数日というところまで来ました!あと一踏ん張りです。

 

 突然ですが、私は、秋が好きです。実りの季節、田んぼや山が一斉に色付いていく美しさの一方で、冬へ向かってゆく寂しさが混ざり合うこの独特な雰囲気。なんだかずーっと思索に耽ってしまいたいような、そんな気分になります。(実際は雪が降るまで仕事に追われてるんですけどね)

 そんな今日この頃、需要なくても語りたくなったのは『金色の匂い』です。確かYouTubeにライブで披露されたもののアーカイブが残っていたので、興味が湧いた方は是非。

金色の匂い

金色の匂い

星ヲ抱ク者

星ヲ抱ク者

  • 十二月舎
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 静かで、穏やかなメロディ。それに合わせて飛び出してくる、あまりにも強烈な歌詞と叫ぶかのように強くなっていく歌声に、思わず耳が奪われていきます。

 「秋になったよ」と語りながら歌われているのは「愛」と言えばよいのでしょうか。といってもラブソングではなく、心の内にあるもの、自分をとりまくもの、誰かと誰かの間におこるものを、「愛」と表現してよいものか思索している。そんな印象の歌詞です。

 描かれる男女の姿は、抽象的でありながら痛烈に、ざっくり言えば醜さや残酷さを表現しているようです。そんな姿を見てか、愛について思い、愛かどうかわからない「どうしても消えない光」を胸の中に見出す。締め括りの「どこにも偽りのないこの季節」の美しい風景と対象的な、聞いていて苦しくなるような胸の内を、穏やかさの中で少しずつ激しく、最後には叩きつけるような歌声で歌い上げています。

 ヒット曲なんかはよく「共感」されたことが注目されますが、矢野絢子さんの歌はそれを求めているようには、私は感じません。強烈な主張と世界観を聞き手にねじ込むような、そんな曲がとても魅力的です。(なんだかすこーしベクトルが違ってますが、中島みゆきさんとかの様な雰囲気かな?)『金色の匂い』はとても穏やかながら「朝になったら全部なくなってくれ」とビクッとするような歌い出しから、一気にそんな世界に引き込まれていく大好きな一曲です。

 10年程前に行った、収録アルバムがテーマのライブでのMCがとても印象的でした。どうやらこの曲を作ったときは「それはそれは酷い男」に恋をしていたらしく(シマフミさんが隣で深く、深ーーく頷いていたのが印象的でした)、その男と恋敵の前で披露したそうです。彼らは曲を聞いてすごすごと退散していったそうな。それはそうです。

 収録アルバムの『星ヲ抱ク者』の曲を作ったときの紹介では、幾度となく「病んでましたね」と仰っていました。聞く人もみな「そうだろうな」と納得がいくかもしれません。私は、人の感情や社会にある暗い部分を逃げることなく見つめた傑作のアルバムだと思っていますし、私が初めてサインを貰ったアルバムでもあります。是非一度聞いてみて下さい。

 というわけで、また需要のないお気に入り曲の記事でした。閲覧頂きありがとうございました。

 

【今日のなぞなぞ】

 試合前のサッカー選手と自動車工場の人が同じことをしていたよ。何をしていた?