冬、色々あってブログをサボっていました。というか、やるのが虚しくなってました。今回はその記事です。多分、誰も共感はしないし、意味もわからないでしょうが、少しばかり。
きっかけはというと、私人逮捕系YouTuberとか、とある女性支援NPOに嫌がらせしてるわけわからん奴のことをニュースとかXとかで見たことです。「お前のブログと関係ないやろ」と言われれば全く反論の余地もないですが、なんだか言論自体の無力さというか、虚しさを感じてしまいまして、寝る前に筆を取ってはぶん投げる日が続いていました。この記事が的確だと思えます。
https://gendai.media/articles/-/120625?page=1&imp=0
私も折角ブログをやってるので、アドセンスなんかも申し込んでみまして、なんとなくだった広告の仕組みなんかも、初めてまともに見てみました。端的に「閲覧数=金」であることの弊害はいわゆる〝迷惑系YouTuber〟の全盛期にもう語り尽くされていますが、それがよくわかりました。無茶苦茶なことをやって注目を集めれば一時的な収入になるし、一定数が「正義感の強い人だー」なんて騙されれば恒常的な収入になりますものね。
結果、酷く道義に背くような行動であっても、むしろ収入が見込める。前述した女性支援団体へ嫌がらせした奴も同じです。損害賠償に発展しても、それを上回る収入が見通せれば、(まともな神経とは思えませんが)続けるのも道理かもしれません。
今、社会の基軸は新自由主義、市場原理主義です。なんだかんだ言っても金を稼ぐことが重要です。その価値観で見れば、これもある意味「成功である」と言えてしまう。真面目に田んぼ作ったり、赤字覚悟で地域おこしに挑んだりするよりも儲かるなら、その方が成功者になれるのだからやってられません。
それに加えて何より問題だと思うのは、その価値観が「稼いでいる=正しい」へと拡大する予兆があるように思えることです。凄く単純に言えば「稼いでいる人は、能力が高い、頭が良い」「能力が高いのだから、正しいことを考えている」といった具合に、言論や学問の過程で練り上げられるべき結論が、極めて単純に評価されるのではないかということです。「金を稼ぐ力」は、例えば「英会話」みたいにそれ以上でも以下でもない一能力で、「社会や経済を考える力」などとは明確に異なる力だと私は思うのですが、どうもそれを超えた評価を受けている様に感じてならないのです。(そこには「経済」と「経営、金稼ぎ」の混合もあるとは思いますが)
実際に、彼らは稼ぎのために法的にも道義的にも正当性を持ち得ないような行動をとっているにも関わらず、彼らを応援する一定数の「信者」とも呼べる人がいます。私は全く理解できませんでしたが、このようなことに思い当たった時、背筋が凍る思いをしました。閲覧数による広告収入の仕組みも、こんな流れを後押しするようにも思えます。
こんな風に吠えても、結局稼げればいい生活はできるんでしょうし、なんだか自分のやってること、やってきたことが馬鹿馬鹿しく思えました。ですがとりあえず、一時期ではありますがペンで働いていた人間でもありますので、正しいこととは何なのか、常に自問しながら生きていきたいとは思います。
さて、こんな風に記事にしようとずっと考えてましたが、なんとなく自己矛盾的になに書いても虚しくなってました。ですが、暖かくなってきて「まあいいか」という気持ちになったので、まとまってはいませんが、載せることにしました。またちょくちょく更新します。
とりあえず、なぞなぞは頑張ってつくりたい。
【今回のなぞなぞ】
あるもので遊ぼうと友達を誘ったら、OKしてくれたよ。だけど、すぐに用意したら、今じゃなくて後でやるもんだと勘違いしてたみたい。いったいなにで遊ぼうとしていた?
答えは次の記事!
【忘れさられてた前回のなぞなぞ】
熊は熊でも、流れ作業に欠かせない熊ってなーんだ?
答え:ベルトコン「ベアー」
閲覧頂き、ありがとうございました。