北竜町農家のなんとなく

北海道北竜町の農家がほそぼそ考えたこと。

絵本について②『おむつのなか、みせてみせて!』

 ようやく稲刈りの終わりが見えてきました。流石に疲れが溜まってきています……特に精神的に。ブログの書き溜めたネタも尽きてきました。まあ、ぼちぼちやっていきます。

 

 先日、3歳になった世界一かわいい息子の読み聞かせシリーズのお話。今回の一冊は、ヒド・ファン・ヘネヒテン著、松永りえ訳の『おむつのなか、みせてみせて!』です。

 なんでもしりたがる、しりたがりやのねずみくん。なぜか友達のおむつの中がしりたくなって、手当たり次第見せてもらいに行くというストーリー。相当ヤバい奴にも見えますが、他の動物たちも快く見せてくれます。優しい世界です。

 仕掛け絵本になっていて、動物たちのおむつをペロッとめくると、中を見ることができる様になっています。それぞれの動物の特徴ごとに書き分けられていて楽しい仕掛けです。

 この絵本は、トイレトレーニングのきっかけ作りを狙うものだと思いますが、動物の特徴にあわせた絵も興味を引きます。つぶつぶ、べちゃべちゃ、まんまるなど、しっかりねずみくんが確認してくれます。そして、最後はトイレに行く様になっていますので、子どもに言い聞かせるのにはいいかもしれません。

 

 うちの世界一かわいい息子は、読み聞かせ始めて2歳半になる前くらいの頃、ねずみくんみたいにトイレに行こう、と連れて行くと自分で「まだ小さいから無理なんじゃないかな」と宣いました。そんなしっかり喋るならちゃんとしなさい。ですが、読み聞かせの感触的にはとても興味が湧いた様子で、少しずつですがトイレにも行ってくれるようになってきました。

 最初はページをめくった瞬間におむつを剥がそうとしていた息子ですが、慣れてきて「まだいいよって言ってないよ!」と注意すると、ちゃんと返事まで読んでからめくるようになりました。ねずみくんと動物たちのやりとりもバリエーション豊かで小気味よいですし、コミュニケーションにも良さそうな良作です。

 こんな感じです。閲覧頂きありがとうございました。

 

【今日のなぞなぞ】

色んな味のキャンディーを舐めていると、突然お家が火事になっちゃった!いったい何味のときだろう?

 

食べるぜニッポン、なんか変

【前回のなぞなぞ】

3×10^⁠48+2^2

この歴史書ってなーんだ?

 

答え:三国志(10の48乗は「極」なので3極4)

 

 始めにお断りしておきますが、私は勉強していたのが農業経済学でして、水産物に関しては明るくありません。不勉強との指摘があれば甘んじてお受け致します。

 

 今回は農水省の食べるぜニッポンキャンペーンについて。原発の処理水を福島沖に流したことで、近隣諸国が水産物の輸入を止めたことに対応してのキャンペーンですね。これに際し、農水相がホタテの消費を呼びかけたそうです。

https://news.yahoo.co.jp/articles/381f15acd5406bbae3c4ae311e630ade75484bce

 別に呼びかけることはいいのですが、その地位に就いた方の言い分ではないと思ってとても腹が立っております。

 一応断っておきますが、近隣諸国の対応は到底納得いくものではありません。ですが、日本の無策さに驚いたのが大きいです。そもそも懸念を一貫して表明し続けてきた地元の反対を無視して流すのだから、このような事態にならないよう手を打った末の決断だと思っていました。曲がりなりにも同じ食料生産を担う一次産業従事者としては、国家としての在り方をどう考えてらっしゃるのか、今一度問うてほしいと思う次第です。

 そしてSNSなどでは「経営者が海外市場に依存していたのが問題」などとして政府を擁護し、生産者を批難するような言説も一定数みられました。ふざけるのも大概にしていただきたい。海外の反応も調査せず、地元の実情の一切を無視していたことの証左ではないか。その何を擁護すればよいのか、私には理解できません。

 

 そもそもの私の考えの前提を述べると、一次産業は、食料供給を満たすために必ず維持するべき産業です。近代の支配的なシステムである市場原理の中で産業として成り立たせるような基盤が必要である一方で、食料という重大な資源を国民に滞りなく供給する、加えて食文化を維持することは国家としての最重要課題です。よって、市場原理に任せた競争原理と一定の距離を置きつつもバランスをとり、生産基盤を保護することが必要だと考えています。

 しかし、この10年ほどでそのバランスは完全に市場原理主義へと傾いてしまいました。従事者は生き残りを懸けて規模の利益を追求せざるを得ず、淘汰が進みます。結果、情勢によって収入は乱高下し、安定した生活を営むにはリスクが高く、担い手はますます減っていきます。私もUターンした人間ですが、農業の不安定さはわかっていたものの、コロナ禍の米価下落は流石に堪えました。

 生産量を安定させて産業を維持することが最重要なのは当然としても、それだけで食えないのは経営者だけでなく、市場経済の失敗であるとの認識が必要です(この日本全体の一次産業従事者の高齢化、担い手不足の現状を「自由競争の中での経営判断の失敗」と分析するほど愚かなことはないでしょう)。それを放置するのは、一次産業においては日本の食料供給、食文化が持続できないということを意味します。それはすなわち、国家体制の失敗なのです。

 そもそも、季節の中で、自然の中で営む一次産業は、とにかく生産を安定させることに多くの労力を要します。その上で、価格変動という自分の力を超えたものに命綱を握られている。安定した高い生産力を持ったとしても、市場経済の動きによって簡単に破綻しうると言ってよいでしょう。私達の食卓は、こうした危うさの上に成り立っていることを忘れてはなりません。

 

 それを前提に、輸出による出口対策を考えてみると、政府はこの10年ほど輸出対策を大きな柱に掲げて一次産業の振興を謳ってきました。あくまで市場経済を軸とした利潤を確保することによって国の食料と食文化を守るという選択です。そして当然ながらそれは国家間の関係性によって成り立つものです。今回の処理水放出による水産物危機は、こうした一次産業振興の土台を無視、下手すれば認識すらせず、なんの手も打たずにもたらされました。生産者からすれば政府が建てた振興の柱が、実はジェンガで出来てた上、急にそれを使って遊び始められたようなもんです。

 本題のキャンペーンは、内需を増やして支えるという考えは当然で、自然に見えます。ですが、このような突発的な需要激減に対して、特に生鮮に関連する一次産業は非常に脆く、規模の利益を追求させてきた分、反動は凄まじいものです。そもそもが市場経済の問題によって、内需で支え切れないからこそ生まれたのがこの構造です。こんな突貫工事で支え直すのはほぼ不可能と言えるのではないでしょうか。急に胃袋は増えないし、財布に金が湧いてくるわけでもないのですから。そして、それは内需を満たすための生産すら維持できないという結果となって、遠くない将来に日本全体に返ってくるでしょう。

 

 私は、基本的にはいわゆるデカップリング(生産によらない収入補償)をとるべきだと大学時代から考えています。米で言えば、かつての転作奨励金や戸別所得補償制度なんかはそれに近いものがありました。今回のホタテに対しても、漁業者への補償を速やかに行うことを怠れば、漁業の継続が危うくなりかねません。ですが、もはや政策は市場原理が全てといってよいような状態です。この調子では、今回のホタテの一件に限らず、ほんの少しのバランスで主食の米ですら総崩れになりうるでしょう。市場経済の失敗に、何十年も向き合ってこなかったひずみが表面化する一つのきっかけになったようにすら思います。

 繰り返しになりますが、国民が「食べて応援する」ことは全くもって間違いではなく、むしろ正解です。しかし、国が引き起こした問題への、そして地元の生産者への向き合い方としてあまりに無策で、無責任だと感じてならないのでした。

 

 以上、稲刈りが終わってないのに急ぎで書いたので、参考文献も読み直してませんので乱文になりましたし、なぞなぞも思いついてません。すみません。閲覧頂きありがとうございました。

謎解き企画やりました⑥やってみての所感

【前回のなぞなぞ】

天敵や獲物に紛れ込もうと擬態しても、すぐにバレちゃう生き物ってなーんだ?

 

答え 蜘蛛(スパイだー!)

 

 稲刈りがようやく半分終わりました。天気も崩れてきますし、不安は募ります……。

 

 さて、個人で企画したひまわりの里オリジナル謎解き「向日葵に聞く物語」。本当は稲刈り後にまとめをするつもりでしたが、いつになることやらなので、とりあえずやってみての感想などを少々書こうと思います。細かなまとめは追い追いやっていきますが、ひまわりの里会場の雰囲気などを中心に。

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 遊んで頂いた方の感想としては、かなり好評で、本当にやって良かったと思いました。本当に狂ったように暑くて、正直「こんなん謎解きとか無理じゃね?」と企画者本人が思うくらいでしたのに、皆さん満足して頂けたのは、CLAYSTONE様の謎の出来が素晴らしかったことに尽きます。

 

 その分、企画した自分としては、「思ったよりも手にとってもらえなかったので悔しい」という気持ちもあります。とりあえず1年目ですので、こんなもんかとも思いますが、謎解き自体の出来が素晴らしかっただけにもう少し考えてはいきたいと思います。

 とりあえずベースとして、観光客は全体的に少ない&例年以上に滞在時間が短かった様に思います。というのも、例年ピークを迎える8月第一週の土日、北空知に避難勧告が出るほどの大雨が降りました。これは大きかったように思います。ひまわりもかなり痛みましたし、次の週には台風も襲来しましたのでこれは仕方ない。

 また、今年は寄り道といった風の方が多かったように思います。これは(別に終息はしてませんが)コロナ禍の制限が緩和された雰囲気のため、全道各地でイベントが復活したことも一因な気がします。実際、ビラ配り&手売りを実施したときに、家族連れの方なんかはかなり興味を持ってくれても、秩父別の子ども向け施設や、旭川に行く予定だという返事が多かったです。土日なんかは2時間ほどで10件以上その返事を聞いたので、流石に偶然ではなさそうです。

 

 さて、次に謎解きという商材についてです。ざっくり言うと、可もなく不可もなく。まだ反応というか、受けがどれほどなのかは一年では掴みきれなかった気がします。宣伝不足もあってか、畑を見たあとに見つけたからしんどい、時間の余裕がないとの声が、販売してくれた「あかるい商店」でも聞かれたようでした。以前の記事にした観光センターと畑の位置関係もありますが、ビラ配りなどをしていても、やはりひまわり畑に行く前に観光センターに行くルートは、現状では提案しきれなかったかもしれません。リーチのしやすさは課題です。

 それと、やはりたまたま謎解きを見かけて、財布を開いて挑むのは、まだまだハードルが高そうな印象も受けました。これは「謎解き」の知名度と浸透度にもよるのでなんとも言えません。近年流行りの脱出ゲームなんかも、初めてのハードルって意外と高いですしね。私も死ぬほど緊張した覚えがあります。こうした層にどうアプローチして手にとってもらうかが課題になりそうです。

 謎解きファンに関しては、正直1年目の売出しで遠路はるばるこの田舎まで来るのかという疑問は正直ありました(私も、ビッグネームならともかく、観光地の謎解きは評判、出来を考慮して、慎重になると思います)。ですが、初日から謎解きファンもいらっしゃって大変嬉しく思いました。CLAYSTONE様の過去の仕事をご存知で、それを目的に来てくださった方もいて、これはかなり嬉しかったです。

 

 まとめると、手軽さと、畑に行く前の認知が課題だということです。謎解きって結構、誰でも楽しめるお手軽アクティビティだと思うのですが、未経験だとその感じはわからないでしょうし、ひまわりの里を楽しむ新たなルートを提案するには、その溝を埋めるための一手を考える必要がありそうです。

 できれば継続していきたいと考えてはいますので、よりよいものを作れるように知恵を絞っていきたいと思います。

 今回はこんなところで。

閲覧頂きありがとうございました。

 

【今日のなぞなぞ】

3×10^⁠48+2^2

この歴史書ってなーんだ?

矢野絢子さん『ニーナ』〜感動なのか、感動とは何か

【前回のなぞなぞ】

息を吐かなきゃいけないのに、逆に吸い込んじゃいそうな人たちがいるよ。何をしている人たちだろう?

 

答え 吹奏楽団(吸いそうな楽団)

 

 稲刈りも中盤戦です。非常に手こずっております。開始は早かったのですが、いつ終わるか……秋に仕事を残してしまったので大変です……

 

 さて今回は、矢野絢子さんの『ニーナ』という歌について語ります。繰り返しになりますが需要なんて知ったこっちゃあありません。語りたいから語るんです。

 

ニーナ

ニーナ

 

 11分超の大作。ピアノとバイオリンの演奏に合わせて、美しい椅子が作られて、色んな人に愛されて、壊れてしまうまでの物語が語るように歌われています。普通の物語や絵本なら、椅子の生涯を冒険になぞらえたり、事件に遭って乗り越えたりするのを描くのかもしれませんが、この曲は、椅子がただ、人と一緒にそこにあるだけです。

 椅子は椅子なので、何かを知っているわけでも、考えているわけでもなく、ただその人たちのことをじっと見ています。だからでしょうか、なんだか叙事的に人々の動き、聞こえてくる音、漂う匂いなんかが描かれています。私たち人間には、そこになにかの物語を思わせられるものの、多くは語られません。

 何度も聞いて、歌詞を読んでも、椅子が壊れて「悲しい」とか、おばあさんが「かわいそう」とか、椅子に彫られた名前が見つかって「嬉しい」とか、そんな感情は微塵も感じません。でも、いつもこの曲にはなにかの感情が大きく揺さぶられるのは確かなのです。私は、この記事を書きながら、感想を「感動した」以外に表現できないのが、とても歯痒く思います。

 

 私は、意外と本や映画でも結構感動しいなところがあります。そして、人が「感動する」ためには、何かの引き金みたいなものがあると思っていました。ドラマティックだったり、人情味に触れたり、尊い犠牲があったり、そんな時に人から溢れ出した何らかの感情に触れ、「感動」というものが起こるのだと思っていました。

 ですが、この曲にはそのどれも存在しません。何しろ、描かれているのは椅子ですから。登場する人々は、たまたまその人生の一部を椅子とともに過ごしたというだけで、改めて歌詞を読んでも「いいお話」や「悲しいお話」すら見つからないでしょう。しかし、私は『ニーナ』は「感動的な名曲」だと言いたくなるのです。この感情はどこから来るのか、この曲に出会って10余年経ってもわからないままです。

 なにも言語化できない、引き金すらわからない、でも確かに自分の中に起こった感情の大きな波。そこにはもしかしたら「感動」というものの本質があるのかもしれない。そんなことを、この曲を聞くたびに感じるのです。

 

 御本人がライブで語っていたことですが、矢野絢子さんは時々、「''命がないもの''が何を考えているか」を想像して歌にすることがあるそうで(『街灯』という曲の時のMC)、これはその一つなのでしょう。

 生で聞いたのは、多分一回だけ。その場でくじに当たった人の歌って欲しい曲だけで行うリクエストライブでした。と言っても、リクエストではなく、アンコールが起こった時に「これリクエストライブやで。アンコールって言われても……」と笑いながら困った絢子さんが、最後のトドメとして演奏したのがこの曲。みんな、ぐうの音も出ない満足感で幕引きとなったのでした。(因みに私はあたりませんでしたが、一緒に行った大学の先輩が『クローバー』をリクエストできました。満足。この曲もその内語ります。)

 

 というわけで、『ニーナ』についてのお話でした。またぼちぼち好きな曲について垂れ流しますので、見かけたらスルーしてくれてかまいません。モノ好きな方、閲覧頂きありがとうございました。

 

【今日のなぞなぞ】

天敵や獲物に紛れ込もうと擬態しても、すぐにバレちゃう生き物ってなーんだ?

 

答えは次の記事!

絵本について①ヨシタケシンスケ『りんごかもしれない』

 今年の稲は、ぶっ倒れてはいますが、収量はなかなかの様子。そこそこな出来ではないでしょうか。ただ、やばすぎる雷と雨によってどうなったことやら……りんちくです。

 さて、今回は趣向を変えて、絵本の紹介です。もうじき3歳になる世界一かわいい息子がいるのですが、寝る前に絵本を読むのが日課です。あまりにもハマった本が数冊あるので、その話でも。あちこちにレビューはありそうなものばかりですが、なんとなく思ったことを書きます。記念すべき第一冊目は、ヨシタケシンスケさんの『りんごかもしれない』です。

 

 

 この絵本は、なんかのテレビ番組で書店員さんのオススメとして紹介されていて、興味が湧いたたので深川のTSUTAYAで探して買いました。年齢的にもう少し上の子向けかな?とも思いましたが、息子は充分楽しめているようです。まだ自分の名前のひらがなくらいしか読めないのに、もう絵を見てほとんど一緒に声に出すくらいです。

 

 ある日、男の子が学校から家に帰ると、テーブルの上にりんごが置いてあった、それだけのお話。でも、ほんとうは、これはりんごじゃないのかもしれない。その子の頭の中は不思議な想像でいっぱいになっていきます。でも、実は、ほんとうは、もしかすると……りんごを見つめたまま彼の想像はどこまでも膨らんでいきます。そして遂に辿り着いたその本質は……

 

 ざっくりとこんなお話。お話ですらありませんね。でも、読み聞かせているうちに、男の子の妄想の世界へ私達大人もどんどん引き込まれていくのです。思わずクスっとしたり、なるほどと感心してみたり、もしそうならと共感してみたり。次はどんなりんごなのか、ワクワクしながらページをめくっていけるのです。

 なんとなく、子どもの頃は身の回りにもっと不思議が転がっていた様に思います。どうして車は走るの?雲は落ちてこないの?お米はどうやって育つの?………少しずつ科学や知識がその疑問を潰していってくれましたが、まだまだ本当は知らないものがたくさんあります。したり顔で説明でしたその存在の、さらにその奥には、まだ見ぬ正体があるのかもしれないのです。

 目の前にあるりんご。その正体を深く、深く考えると、今までに思っていたりんごと全く違うものかもしれないし、自分の知らない何かが隠されているかもしれない。そもそも、それはりんごじゃないのかもしれない。面白おかしな妄想を通して、大人は大人として、問いかけられているような気さえしてきます。

 

 余談ですが、先日X(旧Twitter)にて「水はなぜ透明か」ということについて語る投稿を目にしました(厳密には透明ではないですが)。どうでしょうか?考えてみましょう。これには様々な角度からの答えがあります。ここで語れるほど知見はないのですが、霜田光一さんという物理学者の方がそれを深く論じていらっしゃったそうです。分子による説明は勿論ありますが、そうではなくこの問いかけの本質(というと怒られるかもしれませんが)を超簡単に説明するとこういうこと。

 生物が水の中で生まれ進化していく過程において、視覚は生存を大きく左右する感覚です。もしも水を透過しない光が見えるならば、それは水中では水以外、なにも見えなくなる状態になるということ。「水が透明である」とはつまり、水を透過する光だけを認識していることを意味するわけです。雑に言えば、海で目を利かせるために、水が透明に見えるように進化した生物の一種がヒトだということ。と私は理解しました。なるほど。こうした当たり前の中に、まだまだ考えたこともない謎が眠っているものです。

 

 話はそれましたが、まもなくなぜなぜ期を迎えようとしている息子にとって、この絵本はいい刺激になっているのではないかと思います。

 子どもがみんな大好きなりんごを、これでもかと捏ねくり回したような、名作絵本。読み聞かせに限らず、大人も一度手にとってみてはいかがでしょうか。

 以上、閲覧頂きありがとうございました。

 

【今日のなぞなぞ】

息を吐かなきゃいけないのに、逆に吸い込んじゃいそうな人たちがいるよ。何をしている人たちだろう?

 

答えは次の記事で!

自作なぞなぞ集!20問できたぜ

 とうとう稲刈りがスタートしました。忙しくなるのですが、まあぼちぼちと書き溜めた記事だけ更新していきます、りんちくです。

 さて突然ですが、私はクイズを見るのが好きで、いつか競技クイズなんかもやってみたいと思っています。YouTubeチャンネルでもよく楽しませてもらっています。そんな中で特に好きな、カプリティオチャンネル様というチャンネルがありまして、そこで「ガチなぞなぞ」企画が時折催されているのです。

カプリティオチャンネル - YouTube

 

 あまりにも面白いので、自分も作りたいという思いに駆られました。なので作りました。20問に達したので記事にしてみます。色々と荒削りなのと、語彙的に子ども向けではないので悪しからず。5問ずつ問題と答えに分けています。解いてみて下さい。

 

問題① 植物なのに、細長い魚か、被り物だと言われてしまうものってなーんだ?

 

問題② 手でついたり、蹴ったりして遊べる国ってどーこだ?

 

問題③ 北海道を旅行していると、偶然奥さんを見つけてびっくりしたよ。見つけた市はどーこだ?

 

問題④ 親戚が集まって先祖にお参りをする時に飲むものってなーんだ?

 

問題⑤ 何度も読みたいのに、ページがくっついてめくれなくなってしまう人気漫画ってなーんだ?

 

答え① ウツボカズラウツボか、ヅラ)

答え② マリ(鞠)

答え③ 稚内市(わっ、家内!)

答え④ ほうじ茶(法事のお茶)

答え⑤ 鋼の錬金術師ハガレン、剥がれん!)

 

問題⑥ 濁った川を綺麗にしたら、上司にこっぴどく叱られたよ。どうして?

 

問題⑦ 理由も答えてね。クリスマスに出所した囚人。パーティのデザートは食べられたかな?

 

問題⑧ 刈り取ったひつじの毛などを集めてつくる乗り物ってなーんだ?

 

問題⑨ 耳飾りをしている人が絶対に見ないホラー映画ってなーんだ?

 

問題⑩ 思いっきり掻き込んでも、咳き込まない食材ってなーんだ?

 

答え⑥ 「みず」の濁りを取ったら「ミス」だから。

答え⑦ 「刑期(ケーキ)」は終わっているので食べられない。

答え⑧ 軽トラ(毛糸ら)

答え⑨ 『リング』(イヤリング、「嫌、リング」してるから)

答え⑩ 無洗米(咽ん米)

 

問題⑪ 日を追うごとに届くお便りが多くなっていく画家ってだーれだ?

 

問題⑫ あるチェーン店にはベッドが置いてあって、布団をめくると車が36台も停まっているよ。このお店はなーんだ?

 

問題⑬ 映画のチケットを買ったら、なぜか落とし穴に落とされたよ。なんの映画だったのかな?

 

問題⑭ 動物たちのパーティで、ご飯を山のようにどんどんよそってくれる動物はだーれだ?

 

問題⑮ ブチ切れると関西弁になって、刺殺すると宣言してくる恐ろしい花ってなーんだ?

 

答え⑪ フェルメール(増えるメール)

答え⑫ ケンタッキーフライドチキン(創業はカーネル・サンダース→カー寝る、3ダース)

答え⑬ アナと雪の女王(アナ雪→穴行き)

答え⑭ モルモット(盛る、もっと)

答え⑮ アカンサス(あかん、刺す)

 

問題⑯ いち早く在宅ワークに切り替えたことをアピールしてくる戦国武将ってだーれだ?

 

問題⑰ 算数のなかでも足し算に異常な情熱がある動物ってなーんだ?

 

問題⑱ 県庁所在地対抗の野球大会!守備は二の次で攻撃に全力を注ぐのはどこのチームだ?

 

問題⑲ コインを串刺しにするくらい強い虫ってなーんだ?

 

問題⑳ 女の子が木の上で考え事をしているよ。いい案が思いつくには、頭に何か足りないみたい。必要なのはなーんだ?

 

答え⑯ 毛利元就(もうリモート也)

答え⑰ タスマニアデビル(足すマニアデビル)

答え⑱ 宇都宮(打つのみや!)

答え⑲ コーカサスオオカブト(硬貨刺す)

答え⑳ うかんむり(「木」の上の「女」に足すと「案」ができる)

 

 

はい。あまり推敲してないし、かなり題材が難しいものがあって腹がたったことでしょう。すみません。

 次回記事から、一問ずつ最後になぞなぞ→次の記事の冒頭に答えみたいにしようかしら。できるかはわかりませんが。

 それでは、閲覧頂きありがとうございました。

 

ボドゲって何が楽しいの?の私見

 いよいよ稲刈りが近付いてきました。なのに、毎日半袖で汗だくなのはどういうことでしょう、りんちくです。

 今回は、ボードゲームに関する雑談です。偏見を大いに含んだ個人的なボドゲ観の垂れ流しですので、あまり真に受けないで下さい。

 子どもの遊びとしても、手軽なレクリエーションとしても、そして大人もハマる奥深いゲームとしても魅力的なボードゲーム。北竜ボードゲーム会を始めた時から、少しだけですが町内にもボードゲームが浸透してきたように感じます。

 かるーく、ボードゲームとは。欧州を中心に、家族で楽しめるツールとして発展してきたもので、テーブル上でボードやタイルやコマ、カードを使ったり、会話をしたりしながら遊ぶゲームです。星の数ほどの種類がありまして、うちには、何年か前に大幅に整理・売却してあまり増やさない様にしているのに、まだ大小含めて250タイトル以上あると思われます。結婚前の一時期、妻が完全に狂っていたので。
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 ボドゲ棚の半分です。これが3つ。そして、押し入れに出番の少ないゲームがみっちり入っています。

 ボドゲって、人生ゲームみたいなの?」と、ボードゲーマーは全員、100回聞かれたことがあります。なんて返したら一番小粋なトークに展開できるのか、10余年をかけてもその答えは未だに見つからずにいます。誰か助けて下さい。(いい案があればコメントをくれたら嬉しいです。)

 

 思えば小学生の頃からオセロとかクイズ番組が大好きで、中学生くらいになると、今なお輝きの褪せない名作漫画『ヒカルの碁』の影響でじいちゃんと囲碁を勉強するなど、元々そういった頭を使う遊びが好きなんだと思います。大学時代も寮でトランプの「ナポレオン」や、ドイツゲームドミニオン」などをプレイしていました。

 前職で福岡に住んでいた時には、テーブルトークRPG、もっぱらクトゥルフ神話TRPGにハマってやっていた中で、セッション前に仲間が前哨戦としてたまたま持ってきたのがボドゲとの出会いでした。余談ですが、妻ともそこで出会いました。

 

 さて、私が感じるボードゲームの醍醐味は、ずばり勝負することです。スポーツをやったりテストがあったりする学生と比べて、普通に暮らしていると誰かと競い合うことなんてまずありません。勝って嬉しい、負けて悔しいという体験は、大人になるに従って減っていく様に思えます。勝負の場の緊張感や、勝敗問わず終わったあとのあの感覚が好きなのです。(人によっては、誰かを邪魔することや、そもそも負かすこと自体に凄くストレスを感じる場合もあるようです。そういう方には、協力型のゲームも楽しいと思います。私は進んで選びはしませんが、全くもって嫌いではありません。)

 ルールは様々で、ランダム性の濃淡、戦略性、交渉力、心理戦など様々な力が試される場面も多く、新しいゲームをやるたびにワクワクしています。

 

 近年、ボードゲームが注目されるときにはしばしば、「デジタルにはない効果」がよく取り沙汰されるように思えます。特に、人との交流が求められるゲームがほとんどであるため、コミュニケーション能力が高まることもあるでしょう。様々な力が試されるゲームですし、戦略性や計算などの知育、自己研鑽にも適したものです。

などと、私は1ミリも思っていません。

 それなら自己啓発とか、カウンセリングとか、勉強に時間を費やした方が絶対に有意義です。デジタルでも十分です。交流することで人間性がわかる、とかは納得できるところもあるかもしれませんが、そんな人間観察を求めてボドゲに参加して楽しいんでしょうか。私にはわかりかねます。

 超偏った見方ですが、「ボドゲがコミュニケーション力を高める」のではなく「最低限のコミュ力がなければボドゲは楽しめない」、「ボドゲを通して頭を鍛えられる」のではなく「頭を鍛えた分がゲームに反映される」といった側面の方がむしろ色濃く感じます。

 まあ、完全に効果がないとは流石に私も言い切ることはしません。ですが測れるものでなし、娯楽にそんな教育効果みたいなものを期待してやるのは、かえって損ではないかと思うのです。戦略性なんかは、純粋に勝負を楽しめば楽しむほど磨かれるのではないかとすら思います。

 もしなにか求められるメリットがあるとするなら、仲間が増える、出会えるという点だけは大いにあるメリットと言えるかもしれません。ボドゲを通して知り合うの人との縁も貴重です。でも、それを目的にボードゲームをやろうという人はいないでしょう。やはり、純粋に楽しいからやる、ということが芯にあることで、ボドゲやそれに関わる人々から、最大限の恩恵が受けられるのではないかと思います。

 

 何にせよ、楽しみ方はそれぞれ。アートワークやシステムに惚れ込む人もいれば、わいわいするのがいい人もいます。それぞれでいいんです。

 前半で申し上げた通り、私は「勝負の緊張感」に、デジタルにはない一番の魅力があると思うのです。下らない話をしたり、ふざけ合ったりしながら遊んではいますが、皆が真剣に考えて、勝利に向けて遊んでいるんです。画面の向こうの人と競うのも、私は結構やります(ボドゲのネット版もありますし、ポケモン対戦とかも好きなので)。ですが、目の前の相手と競っている時には、別格の緊張感と楽しさを感じます。

 結局、なんやかんやと目的や効果を語るのでなく、純粋に魅力を感じて遊んでもらえると一番嬉しいな、と思う次第です。

 

 なんで記事にしてまでこんなことを言うかといいますと、もう10年以上前ですが、こうした自己啓発ボドゲを組み合わせたマルチ商法が現れた時代があったからです。胡散臭いゲームにとち狂ったような値段をつけて、あちこちで色々なあれこれに勧誘する手口が話題になっていました。しかもそれが名作の丸パクリシステム。そのくせして、あたかも「ボードゲーム大好きで、広めていきたいんです!」みたいな顔でメディアに露出し始めたことも相まって、全国の関係者、愛好家から蛇蝎の如く嫌われていたようです。私も一度、偶然にもラジオに出演されていたのを聞きましたが、反吐が出ました。皆さんも胡散臭い奴にはお気をつけを。

 

 今回はここまで。たまに、ボドゲレビュー的なのも書こうかと思います。それでは、閲覧頂きありがとうございました。