北竜町農家のなんとなく

北海道北竜町の農家がほそぼそ考えたこと。

矢野絢子さん『ニーナ』〜感動なのか、感動とは何か

【前回のなぞなぞ】

息を吐かなきゃいけないのに、逆に吸い込んじゃいそうな人たちがいるよ。何をしている人たちだろう?

 

答え 吹奏楽団(吸いそうな楽団)

 

 稲刈りも中盤戦です。非常に手こずっております。開始は早かったのですが、いつ終わるか……秋に仕事を残してしまったので大変です……

 

 さて今回は、矢野絢子さんの『ニーナ』という歌について語ります。繰り返しになりますが需要なんて知ったこっちゃあありません。語りたいから語るんです。

 

ニーナ

ニーナ

 

 11分超の大作。ピアノとバイオリンの演奏に合わせて、美しい椅子が作られて、色んな人に愛されて、壊れてしまうまでの物語が語るように歌われています。普通の物語や絵本なら、椅子の生涯を冒険になぞらえたり、事件に遭って乗り越えたりするのを描くのかもしれませんが、この曲は、椅子がただ、人と一緒にそこにあるだけです。

 椅子は椅子なので、何かを知っているわけでも、考えているわけでもなく、ただその人たちのことをじっと見ています。だからでしょうか、なんだか叙事的に人々の動き、聞こえてくる音、漂う匂いなんかが描かれています。私たち人間には、そこになにかの物語を思わせられるものの、多くは語られません。

 何度も聞いて、歌詞を読んでも、椅子が壊れて「悲しい」とか、おばあさんが「かわいそう」とか、椅子に彫られた名前が見つかって「嬉しい」とか、そんな感情は微塵も感じません。でも、いつもこの曲にはなにかの感情が大きく揺さぶられるのは確かなのです。私は、この記事を書きながら、感想を「感動した」以外に表現できないのが、とても歯痒く思います。

 

 私は、意外と本や映画でも結構感動しいなところがあります。そして、人が「感動する」ためには、何かの引き金みたいなものがあると思っていました。ドラマティックだったり、人情味に触れたり、尊い犠牲があったり、そんな時に人から溢れ出した何らかの感情に触れ、「感動」というものが起こるのだと思っていました。

 ですが、この曲にはそのどれも存在しません。何しろ、描かれているのは椅子ですから。登場する人々は、たまたまその人生の一部を椅子とともに過ごしたというだけで、改めて歌詞を読んでも「いいお話」や「悲しいお話」すら見つからないでしょう。しかし、私は『ニーナ』は「感動的な名曲」だと言いたくなるのです。この感情はどこから来るのか、この曲に出会って10余年経ってもわからないままです。

 なにも言語化できない、引き金すらわからない、でも確かに自分の中に起こった感情の大きな波。そこにはもしかしたら「感動」というものの本質があるのかもしれない。そんなことを、この曲を聞くたびに感じるのです。

 

 御本人がライブで語っていたことですが、矢野絢子さんは時々、「''命がないもの''が何を考えているか」を想像して歌にすることがあるそうで(『街灯』という曲の時のMC)、これはその一つなのでしょう。

 生で聞いたのは、多分一回だけ。その場でくじに当たった人の歌って欲しい曲だけで行うリクエストライブでした。と言っても、リクエストではなく、アンコールが起こった時に「これリクエストライブやで。アンコールって言われても……」と笑いながら困った絢子さんが、最後のトドメとして演奏したのがこの曲。みんな、ぐうの音も出ない満足感で幕引きとなったのでした。(因みに私はあたりませんでしたが、一緒に行った大学の先輩が『クローバー』をリクエストできました。満足。この曲もその内語ります。)

 

 というわけで、『ニーナ』についてのお話でした。またぼちぼち好きな曲について垂れ流しますので、見かけたらスルーしてくれてかまいません。モノ好きな方、閲覧頂きありがとうございました。

 

【今日のなぞなぞ】

天敵や獲物に紛れ込もうと擬態しても、すぐにバレちゃう生き物ってなーんだ?

 

答えは次の記事!