今年の稲は、ぶっ倒れてはいますが、収量はなかなかの様子。そこそこな出来ではないでしょうか。ただ、やばすぎる雷と雨によってどうなったことやら……りんちくです。
さて、今回は趣向を変えて、絵本の紹介です。もうじき3歳になる世界一かわいい息子がいるのですが、寝る前に絵本を読むのが日課です。あまりにもハマった本が数冊あるので、その話でも。あちこちにレビューはありそうなものばかりですが、なんとなく思ったことを書きます。記念すべき第一冊目は、ヨシタケシンスケさんの『りんごかもしれない』です。
この絵本は、なんかのテレビ番組で書店員さんのオススメとして紹介されていて、興味が湧いたたので深川のTSUTAYAで探して買いました。年齢的にもう少し上の子向けかな?とも思いましたが、息子は充分楽しめているようです。まだ自分の名前のひらがなくらいしか読めないのに、もう絵を見てほとんど一緒に声に出すくらいです。
ある日、男の子が学校から家に帰ると、テーブルの上にりんごが置いてあった、それだけのお話。でも、ほんとうは、これはりんごじゃないのかもしれない。その子の頭の中は不思議な想像でいっぱいになっていきます。でも、実は、ほんとうは、もしかすると……りんごを見つめたまま彼の想像はどこまでも膨らんでいきます。そして遂に辿り着いたその本質は……
ざっくりとこんなお話。お話ですらありませんね。でも、読み聞かせているうちに、男の子の妄想の世界へ私達大人もどんどん引き込まれていくのです。思わずクスっとしたり、なるほどと感心してみたり、もしそうならと共感してみたり。次はどんなりんごなのか、ワクワクしながらページをめくっていけるのです。
なんとなく、子どもの頃は身の回りにもっと不思議が転がっていた様に思います。どうして車は走るの?雲は落ちてこないの?お米はどうやって育つの?………少しずつ科学や知識がその疑問を潰していってくれましたが、まだまだ本当は知らないものがたくさんあります。したり顔で説明でしたその存在の、さらにその奥には、まだ見ぬ正体があるのかもしれないのです。
目の前にあるりんご。その正体を深く、深く考えると、今までに思っていたりんごと全く違うものかもしれないし、自分の知らない何かが隠されているかもしれない。そもそも、それはりんごじゃないのかもしれない。面白おかしな妄想を通して、大人は大人として、問いかけられているような気さえしてきます。
余談ですが、先日X(旧Twitter)にて「水はなぜ透明か」ということについて語る投稿を目にしました(厳密には透明ではないですが)。どうでしょうか?考えてみましょう。これには様々な角度からの答えがあります。ここで語れるほど知見はないのですが、霜田光一さんという物理学者の方がそれを深く論じていらっしゃったそうです。分子による説明は勿論ありますが、そうではなくこの問いかけの本質(というと怒られるかもしれませんが)を超簡単に説明するとこういうこと。
生物が水の中で生まれ進化していく過程において、視覚は生存を大きく左右する感覚です。もしも水を透過しない光が見えるならば、それは水中では水以外、なにも見えなくなる状態になるということ。「水が透明である」とはつまり、水を透過する光だけを認識していることを意味するわけです。雑に言えば、海で目を利かせるために、水が透明に見えるように進化した生物の一種がヒトだということ。と私は理解しました。なるほど。こうした当たり前の中に、まだまだ考えたこともない謎が眠っているものです。
話はそれましたが、まもなくなぜなぜ期を迎えようとしている息子にとって、この絵本はいい刺激になっているのではないかと思います。
子どもがみんな大好きなりんごを、これでもかと捏ねくり回したような、名作絵本。読み聞かせに限らず、大人も一度手にとってみてはいかがでしょうか。
以上、閲覧頂きありがとうございました。
【今日のなぞなぞ】
息を吐かなきゃいけないのに、逆に吸い込んじゃいそうな人たちがいるよ。何をしている人たちだろう?
答えは次の記事で!