閲覧頂きありがとうございます。今回からは、地域おこしの一環として始めた謎解きイベントについて、その経緯や目的を紹介してみます。初回はとりあえず、ひまわりの里についてを中心に話します。謎解きの実現にむけて動き始めるのは次回からなので、飛ばした方が良い方も多そうですのでお断りしておきます。
まずはじめに、私の住む北竜町は農業と「ひまわりの里」を中心とした観光の町として、振興を目指す町です。約23haのひまわり畑は、北海道の中でも観光地としてかなりの人気があり、一夏の間に毎年20万人を超える観光客が訪れています。このひまわりの里は入場、駐車場料金ともになんと無料!すごいですね。町の農産物ブランドも「北竜ひまわりライス」「ひまわりメロン」「ひまわりすいか」と銘打つなど、里は無料とはいえ、実際の経済効果は、(詳しい数字は今、手元にないのでまたの機会にしますが)かなり大きいものと思われます。
さて、ひまわりの里の発足から既に36年。町の人口は先日、1700人を切りました。町民が「作った」ひまわりの里は、今の我々から見れば、町に「ある」ものとなりました。コロナ禍を経て、また観光地としての在り方を見直す機会も増えました。
議会では「やっぱりお金をとるべきでは?」といったことも議論されている様です。私が参加している活性化協議会でも同様です。
今までも「協力金」という、まあ募金ですね。これを集めてなんとか維持していこうという活動は続いています。里は無料であるものの、その景色に感動して、対価の様な気持ちでも協力金を払って頂けているのだろうなと想像しております。ですが、やはりこれは訪れて下さった方の善意によるものであり、この不景気と格差の世でそれが続くのかは不透明だと思います。そんな中、観光地としての魅力を高めつつ、有料化していくという議論は自然な流れと言えるでしょう。
しかし、ここで私は静かに狂っているタイプの人間ですので、感性や考え方がねじ曲がっていることを断りつつ、主張に入らせて頂きます。
私は、無料であるからこその魅力として一つ強調したいことがあります。それは、ひまわりの里が、町民に限らず繋がる人々が、なにかしら活動を行うための空間や時間を残していることです。これを、私はひまわりの里にある「余白」と表現しようと思います。これを失うことが心配なのです。
「余白」は一見、何もないデッドスペースです。何を生産しているわけでもなく、誰かが必要としてるわけでもない。明日も明後日も、来年もそのままかもしれません。ですが、いつか誰かがなにかするときに、いつか使える場所であるという大切な役割があります。そして、その「余白」があるからこそ、なんの場所にするか人が頭を捻る機会を生むのだと思うのです。
私は、都会にはなかなかみられないこの「余白」がとても魅力的に映るのです。
有料化を目指すには、ある程度の全体構想に沿った里の整備、構築は不可欠となります。これを実現すれば、人の流れをつくり、無駄のない、効率よい順路を計算された観光名所が生まれるでしょう。そこには新しいアイディアも生まれそうです。これも別に悪いものではないし、売店や商工会も稼ぎ時ですから頑張るでしょう。お金を取る以上、そこには顧客ニーズを見据えた計画性が勝負の分け目になりますし、それは健全な競争ですから、特に間違ったものだとは思いません。
ですが、その過程は、乱暴に言えば、如何に無駄を省き、効率化していくかという議論に感じられてしまうのです。それは実質、「余白」を減らすこと自体を目的とするものとなりかねないことが心配なのです。
ひまわりの里に残る「余白」を巡り、町民が新しい発想や活動をぶつけ合う。これができればもっと他にはない観光地になるのではないか。そして、私自身も刺激の中で楽しくこの町で暮らせるのではないか。これが一番望んでいるところです。
こうした考えの元、とりあえず思いついて、今回の「ひまわりの里オリジナル謎解き」の開催に動き始めました。なんで謎解きなのかは、長くなったので次回とします。
さて、長くなりましたがここまで。また宜しくお願いします。